三輪運輸工業の
軌跡
日本の近代化とともに歩んできた三輪運輸工業。
130年を超える歴史と経験が、
物流の未来を切り拓いていく。
近代日本の黎明期、
「三輪組」が誕生。
神戸製鋼所との深いご縁は
ここから。
徳太郎の死、
そして訪れた昭和恐慌。
戦時下でも、
歩みを止めず前へ。
昭和20年8月15日に第二次世界大戦が終戦し、日本の産業界は物不足とインフレによる苦しい再生の道を歩み始める。神戸製鋼所は工場の復旧整理を始め、線材や琺瑯鉄器、アルゴンガスなどの製造に着手。三輪組は神戸製鋼所からの要請を受け、焼成炉の築炉・修理部門を開設した。現在でも神戸製鋼所は「線材の神戸」と呼ばれるほど線材を代表的な製品としており、この時に三輪組が始めた築炉部門は、現在も続く当社の築炉室の原点となっている。昭和21年、創始者の三輪徳太郎の遺宅を改築し、本社事務所を疎開先の脇浜会館から移転。23年には職業安定法発令に伴い、三輪運輸工業株式会社に改組し、社名を変更した。しかし24年から25年、戦後不況の煽りを受け、三輪運輸工業は会社の存続が危ぶまれるほどの経営難に直面。賃金の遅配や欠配が続き、会社と労働組合の団体交渉がひっきりなしに行われるようになる。官庁や企業のほとんどに赤旗が並び、ストが続発していた中、26年に日本経済が回復の兆しを見せるまで三輪運輸工業も労使ともに苦しい道のりを歩み続けたのであった。
神戸製鋼所最大の製鉄所、
加古川製鉄所が稼働。
革新的な産業車両で、
物流の常識を塗り替える。
昭和50年、播磨工場の操業を開始。53年、加古川製鉄所における構内総合運搬システムの将来構想として、スウェーデンのMTAB社(現在のキルナトラック社)から、キルナ・コンビ・トラックを導入。「ダンプカー、フォークリフト、トレーラーの長所を組み合わせた重量物運搬車である。」と、物流業界に大きな衝撃を与えた。のちの56年にはキルナ・コンビ・トレーラーを導入。この組み合わせにより構内運搬作業の省力化・合理化に大きく貢献し、画期的とも言える構内物流システムを確立した。
56年、MTAB社とキルナ・コンビ・トラックの技術援助契約を結び、播磨工場で製造を開始。58年の全長2,200mの九州縦貫自動車道(金剛山トンネル)工事では、業界から高い評価を獲得した。これを機に、三輪運輸工業は輸送中心の事業形態から、ユーザー目線での製造・販売をハード面・ソフト面ともに行うことで、事業の幅を広げていく。
戦略的な経営合理化で、
第2次オイルショックを克服。
数々の困難を乗り越え、
培った企業力とともに未来へ。











